Loki

「Loki」(ロキ)は容姿端麗でトラブルメーカーな神の名前。元々は火(神の力)の具現化。邪悪で狡猾、自由で移り気、悪戯好きで毒舌な、神々に不利益と利益をもたらすトリックスター。


 クリスマスの贈り物というのは、もっと気分のアガる、楽しいものだと思っていた。
 少なくとも、ぶざまに転んでガード下のゴミ捨て場へ頭から突っこんだあげく、聞くにたえない悪態をまき散らして八つ当たりする男がそれにあたるなどとは、夢にも思わなかった。
 ──思わなかったが。
 聖なる夜に恐怖と混乱の極致で着の身着のままふるえている哀れさに同情して、使い古しの毛布を貸してやった時、そいつが発狂したようにさけんだ「あの女に“キス”で殺されて、また七日前に“戻った”んだよ!」というせりふを耳にした瞬間。
 たいていのことにはもう何の感情も刺激されなくなっていた俺の心臓が、大きな音をたてて跳ねだしたことに気がついて、久しぶりの──いつ以来かすぐには思い出せないほど久しぶりの昂奮をおぼえた。
「……キスされて時間が戻ったぁ!?」
 よく知っている、わかりきったその現象を、まるで初めて聞く与太話に呆れたていをよそおって笑いとばしてみせる。……ただし、笑ってみせたのは、歓喜で声が裏返りそうになるのをごまかすためでもあったが。
 ──なあ、もっとくわしく聞かせてくれよ。そのキスをしてくれた女ってのは『彼女』か? 『佐藤宰子』か? ──
 派手なスーツ姿の(この寒空でコートも無し、スーツのみ)見るからに水商売風の雰囲気をただよわせたその男は、さっきまでのおびえてとり乱した様子はどこへやら、挑戦的に吊りあげた眼で──最初の印象よりは根性がすわっていそうな眼で──真正面から俺をにらみつけてきた。
 いいね、その態度。気にいった。それじゃ、おまえにおしえてやるよ。
 “タイムリープ”を。
 今になって思い返すと確かに、その男──エイトは、俺が探し求めていた“回答”をこの目に見せてくれる可能性を秘めたクリスマスプレゼントだった、かもしれない。


 男にしてはやけにケアのいきとどいた長い指(爪の形まで整えてやがる)の手が、目の前にしるこ缶をさし出した。受けとる前に、その手の持ち主をあおぎ見る。スチールフェンスにもたれかかって坐っている俺を、むすっとした不機嫌顔で見おろすそいつと眼と眼があった。
「おう、サンキュー。……それにしても、おまえ、ほんとイケメンだよな」
 住宅街からは離れた、ひと気のない路地裏のうす汚いガード下(今夜はめずらしく誰もいないが、普段はこの曙橋界隈のホームレスのたまり場だからな、ここは)でしるこ缶を片手に立ってなお絵になる男前など、そうそういない。それなりに本心からの俺の嘆賞に、エイトは眉ひとつ動かさず無感動に「ああ。よく言われる」と返してきた。うぬぼれもなく、謙遜もしない。お日さまが東から昇って西へ沈む、と言われたような、当然の常識に対する反応だ。……すげえな、何を食って育ったらここまで図ぶとい神経ができあがるんだ? お宅のご子息どうなってんの、とこいつのご両親に訊いてみたい。
「……いらないのか? なら捨てるぞ」
 いらだった声と同時にひきあげられそうな動きを見せた小さな缶を、すばやく奪いとる。捨てるなんてもったいない。タダでもらえるもんはありがたく頂戴するよ。──あー、あったかい、俺のおしるこちゃん。
「サンキューって言ったのにぃ、エイトったらいけずぅ」
「うぜえ」
 一刀両断。ドライアイスも真っ青な、冷たーい声と視線。──つまらねえな、ただのちょっとしたジョークじゃんかよ、ノリのわるいヤツ! おまえ絶対、友達少ないだろ!
 ……って。「友達」と呼べる存在などとっくの昔に一人残らずいなくなってる俺が、他人をどうこう言うのも野暮か。
 俺はほかほかの缶を頬にあてながら、友達の少なそうなホストへ右隣のスペースを顎でさした。
「まあまあ。つっ立ってないで坐ったら? 隣、空いてるよ」
 エイトは仏頂面のまましばらく黙っていたがやがて、小さく舌打ちをすると(面前でこういうコト平気でしてくるんだからすげー性格歪んでるわ、こいつ。どんな教育してきたのか、ご両親を問いつめたい)口をひらいた。
「……この間、助けてくれたことには一応……感謝してる。あの時、あんたが来なかったら……俺は多分、あのまま殺されてた。あんたのおかげで助かった。……その礼だけは言っとく」
 あのー。全然、まったく、感謝して礼を言う口調じゃないんですけどー。
「……けど、腹抱えて大笑いしてたのは一生忘れねえぞ! 笑ってるヒマがあったらすぐに救急車呼べよな、この野郎!」
 突然、鼻先に人差し指をつきつけられた。なんだ、意外と根にもつタイプか。器の小さい男だねえ。俺はこみあげてきて我慢できなくなった笑いを隠さずに、エイトへひらひらと右手をふって弁解した。
「だから誤解だって。あれは笑ってたんじゃなくて泣いてたんだって、さっきも説明したろ。被害妄想はよくないよ? エイトが今、生きてるんなら、それでいいじゃん。はい、終了~」
 ふったついでの右手で、まだ俺に向けられている人差し指を払いのける。エイトさぁ、ひとを指さしちゃいけませんって教わらなかった?
「あとさ、その『あんた』っての、やめてくれないかな。俺には『春海一徳』という立派な、グレートな、マーベラスな名前があるんだけど」
 その時。文句の言い足りなさそうなエイトのもう一方の手が、なにやら奇妙な物をぶら下げているのに気がついた。……何だ、アレ?
 俺の凝視を追ったエイトが、ソレをわざわざ俺の目の高さまで持ちあげてみせた。至近距離でよく見ても、いよいよ得体のしれない謎の物体だ。
「──ああ、これ? 女へのプレゼントだよ。これが好みのタイプだとかぬかすからさ」
 ……それにしちゃ、まがりなりにも「プレゼント」なんだったらいわゆる『獲ったどー!』っぽいつかみ方は、やめた方がいいんじゃないの?
 分類するなら「人形」になるだろうか。数種類のどぎつい色と柄の毛糸だかフェルトだかでつぎはぎだらけに作られた胴体と、ほそい両手両足。体はけばけばしいのに、顔はなぜか土気色をしている。人種も性別さえも見当がつかない独創性の高いデザインで、そこはかとなくホラーテイスト。さらに特徴的なのはその面貌だ。ギョロリと剥きだした焦点の合っていない両目、これ見よがしに鋭利にギザギザした歯が並ぶ口……めっちゃ不気味。
「なかなかのキモさだな……」
「だろ!? そうだろ! ったく、ほんっと趣味わるいよなー、あいつ! ……まぁ、あいつ本人もこれと似たり寄ったりに不気味で陰気な女だから、お似合いかもしれねえけど」
 エイトがけなしている『あいつ』が誰を意味するのか、すぐにぴんときた。──そうか? 写真のあのは、控えめでおしとやかな「ザ・大和撫子」って感じでかわいいぞ。ホストのくせに女を見る目ないんだな、おまえ。
「だけど、その女はおまえにとっての“女神”なんだよな?」
 そう言ってやるとエイトはぽかんとした。
「……はあ? ……女神?」
「ほら──“時間を戻せるキス”をしてくれるんだろ、その宰子っては、さ」
 カマをかけてみた。口の軽そうなこいつなら、まんまとひっかかって決定的な情報提供をしてくれるかも、と考えた。
 ──が。軽薄の塊とも見えたこの男は予想していたよりはずっと、警戒心が強かった。親近感をにじませてきていた明るい顔つきに一瞬で冷徹な仮面をつけて、抑揚をおさえた調子で否定してきた。
「──あれは冗談だって言ったよな。あの日は酒飲みすぎてベロベロに酔っぱらってたせいで、おかしなことしゃべってただけだよ。だから、あの話はもう忘れろよ」
 あっそ。ふーん。他の人間には秘密にしておきたい、特別な存在なのか『佐藤宰子』は。……それってさ、彼女が「役にたつ」から? 役にたつ特別な「道具」は、そりゃまあ、めったに人目にふれさせたくないよな。
 白々しくとぼけているエイトに、俺も白々しくうなずいてやった。
「ま、いいけどね。でも事実ならスゲェ斬新な面白いネタだったのになー、酔っぱらいのたわごとだったかー、残念! ──ところで、いつまでそうやって高みから俺を見おろしてんのよ。坐ったら?」
 再度、顎でうながすと、渋々といった表情と動作ながらも俺の右隣に坐りこんだ。無数の星がまたたく一月十四日の夜、寒々しい路地裏のガード下、並んでおそろいの体勢でしゃがみこんでいる男二人。……何だろうね、このやるせない眺めは。
 両手と頬に暖をとっていた缶のプルタブをあけて、中身をちびちびとすする。……うん、やっぱ真冬の甘~いおしるこは最高。あぁ~生き返るぅ~。
「何であの部屋に来たんだ?」
 また、それ? しつこい男は嫌われるよ。至福のひとときを味わっていたところに水をさされてちょっとイラッとしたから、俺は投げやりに返事をした。
「たまたま、エイトが走ってるの見かけたんだよ! ……もういいのか?」
 腹いせに傷口をつついてやろうかとヤツの腰に手を伸ばしたら、ほんの四日前に重傷を負ったとは信じられない反射神経で阻止された。おぉ、充分すぎるくらい元気じゃんか。心配して損した。
 エイトが苦々しげな顔をした。
「まだ痛むけど……ちょっと用があって病院を抜けだしてきた」
 用、ね。つまりあれだろ、ナンパだろ? それともストーキング? その怪我でよくやるよ、まったく。──おまえ、あの時に、いっぺんマジで死んでみてもよかったんじゃない? “キスで殺される”のは慣れてんだろうから、ガチの方でさ。そしたら命のありがたみがわかったかもよ?
 ……大体、あのカズマってのも詰めがあまいんだよ。びびったのかほだされたのかしらないが、“愛”が聞いてあきれるぜ。本気で相手を殺したいんだったら、もっと刃渡りの長い凶器を使うなり思いきって顔を狙うなりしてがんばれよ。……
 肚の底でカズマってののふがいなさを嘆く。そうとは知らない隣のエイトは、薄気味悪い「プレゼント」を虐待しだした。
「なんでこんなブサイクな人形に負けるんだ……あいつ、こっちが下手にでたらいい気になりやがって……!」
 おいおい……ひとに贈るつもりの物にそんな乱暴しちゃマズイだろ。いい大人が貧弱な人形に憎しみをぶつけているさまが笑えてしょうがない。
「ナンバーワンにも落とせない女がいるのか」
 からかい半分の声をかけた俺にちらりと目線をよこして、吐き捨てた。
「金も持ってなさそうだし、タイプからはほど遠い」
 ──違うね。何もわかってないね。そんなのとは比べものにならないんだよ──宰子ちゃんの「価値」は。
 ぐっと身を寄せる。チャラいピアスをつけた耳元へささやく。とっておきの内緒話をこっそりうち明けるみたいに。
「それでも、エイトにないものを持ってるかもよ」
 驚きと訝しみに見ひらかれたエイトの両眼に映る、満面の笑みの俺。なんだかたまらなく楽しくなってきた。──よろしい、察しのわるい君に特別講義をしてあげましょう。
 俺は立ちあがって、フェンスの裏へまわりつつ、アカデミー賞も狙えるドラマチックな所作と美声とで朗々と語ってみせた。
「昔! 人は神によって、男と女にひき離された! ──って、いうだろ? だから、お互い、足りないものを求めあうんだよ」
 俺につられて立った生徒のやっぱりノリのわるい、冷たーい視線がつき刺さってくるが、気にしない。ふふん、即物的な拝金主義者め、おまえごときにこのロマンあふれる詩的センスは理解できまい。
「その足りないものを、キスで、埋めるんだよ」
 フェンス越しの俺からのキス=ヒントを、不快そうに無視するエイト。
「なんだよ、それ。……こんなところで寝てると凍死するぞ」
 ──これでもまだ、わからないのか。こいつ、どんだけ鈍感よ? 仕方ねえから追加のヒントもくれてやる!
「俺が死んだら、キスして生き返らせてくれ」
 すると。ようやく、エイトのむかつくほどに綺麗な顔にさざ波が揺れた。その波は動揺と猜疑とそれから──天啓にも似た何か。
 それでも、秒のに表情の違和感を消して冷静さをとり戻したのはさすが、ナンバーワンなだけあってそっちも演技がうまいねえ。
「まだそんなこと言ってんのかよ。キスで時間が戻るわけねえじゃん。──風邪ひくなよ。じゃあな」
 軽く、軽すぎるくらいに軽く別れの挨拶を口にして、エイトは歌舞伎町の方向へと歩いていった。……あれっ、もうお帰り? ラストまで聞いていかないの? このあと、不遜にも禁断の果実に手をつけて楽園エデンを追われた愚かな男女の話も用意してたのに。おまえに──おまえらにぴったりのストーリーなのに。
 きらびやかな濃い闇に溶けていく背中をながめながら、意識せず自然に、俺の口角がゆっくりあがっていった。
「秘密にぃ……気づいたかぁ……」
 別れ際のあいつのわずかな変化を、俺は見逃さなかった。俺を一瞥した驕りきった瞳。俺を嗤った増上慢の唇。──“奇蹟”の仕組みに感づいた程度で、全知全能の神様の仲間入りした気でいるのかよ。おめでたいな。
 見おぼえのあるそれらが既視感デジャヴを呼びおこす。そう、タイムリープの限界に気づいてしかもタイムリープの代償に気づけなかった頃に、鏡の前でよく見た面とそっくりだった。見飽きて反吐がでそうだ。
 ──なあ、エイト。おまえが欲しいのは金か、地位か? それだけか? そんなもんを手に入れるために神ならぬ人の身で“神の力”を使いまくって、何のペナルティも受けないとでも思ってるのか?
 あがりきった口角がさらに上を目指して俺を困らせる。愉快の極みだ。こんなに興味ぶかいエンターテインメント・ショーは、またとない。
 いいね、ますます気にいった。おまえはおまえのやりたいように、突っ走ってみせな。それでおまえらの行きつく先に、俺とは違うゴールが待っているのか(俺がたどりつけなかった“回答”を見つけられるのか)、最後までじっくり観察させてもらうとするよ。──
 凍てつく夜のガード下で俺は四日前よりももっと盛大に、腹を抱えて大笑いした。


 お袋も姉ちゃんもあのバカ親父と一緒に、あっさり焼け死んじまった。
 なのに、俺一人だけがみっともなく、死にたくない、と──生き残りたい、と──そう願ったから。だから。
 こんなろくでもない“力”を背負わされて生かされつづける“罰”があたったんだろう。ずっと、ずっとそう思ってきた。
 ……だけど。
 このクソみたいな人生の意味を、おまえらが変えてくれるって信じてみる。
 だから、なあ、頼んだぜ。俺の期待を裏切るなよ。
 クズと地味の正反対な組み合わせだけど──よく見りゃ似た者同士なお二人さん。
Page Top
inserted by FC2 system