悪源太

ひたすら無邪気な麻也姫と、姫にべた惚れなのを自覚してないようでしてるような悪源太助平。


 成田家の定紋丸に蔦の旗がへんぽんとひるがえる、忍の城内。広々とした庭のいたるところに、大がかりな池が掘られ、濠が通され、抜穴がうがたれてゆく。見れば、その力仕事をしている何十人もの人間は、ほとんどが女と子供ばかりだ。
 炎天下に肌ぬぎになって、一心に鍬をふるっている者、土を盛ったモッコを運んでいる者、大八車を曳いている者。……みな汗だくだが、どの顔も明るく、いかにも楽しげである。──こののどかな光景が、大軍に囲まれ、明日にもその鉄蹄に蹂躙されかけんとする孤立の小城の中とは、だれが想像し得ようか。


(……どうもおかしなことになりやがったなあ。睾丸斎じゃねえが、つらつらかんがえるに、あの女と出逢ってからってえもの、何から何までいすかのはしとくい違っちまって、調子が狂ってしょうがねえや)
 青草のうえに寝そべって、頬杖ついてその風景を見るともなしに見ている、ひとりの男。蓬々とのびた乱髪を藁でくくり、野性的な風貌は剽悍を超えてちょっと凶悪な相とも見えるが、苦味ばしッたなかなかの男前だ。
 ぼんやりした顔で風景をながめているようだが、その実ながめているのは、忙しくも陽気に立ち働いている百姓女たちのなかに見えかくれする──小柄で優雅なひとつの影。その姿だけをずっと眼で追っている。
 白百合とも見まがうたおやかな姿態。艶やかに流れるゆたかな黒髪。珠を刻んだような玲瓏たる美貌は月光に似て冴え冴えとして、それでいて内部からあふれ出す活溌の気性が、太陽のひかりのごとく周囲を照らしてまぶしいばかり。
 現在は小田原城に召集されて留守の城主成田左馬助の奥方、麻也姫さまである。そして、夫に代って陣頭に立ち、この忍城を護る女あるじでもある。
 あちらへ走っては、重さによろめいた女の担いだ天秤棒を支えてやる。
(しかし、呆れたもんだ。濠なんざ掘って、あのナオめら、ほんとに上方勢とやり合う気でいやがる。……揃いも揃って馬鹿ペテポウどもめ、いくさをまったく知らねえ無茶といったって、あんまり度がすぎらあ)
 そちらへ寄っては、手のあいた者に次の作業の段取りを指示する。
(豊臣方は二万六千の大軍。それも、あっちは石田治部を大将に据えた、千軍万馬の武者揃い。比べてこっちは、四千にすら足りねえ上に、大半がものの役にも立たねえ女と餓鬼どもときた。これでまともないくさが出来りゃあ、香具師もはだしの大ペテンだ。まず、二日もったら大したものだな……と、ここまでわかっていながら、どうしておりゃ、いつまでもこの城に阿呆みてえに尻を落ち着けているんだ?)
 こちらへふり向いて、にっこり無邪気に笑う。二三度片手をふって、「源太!」と呼ぶ声がかすかに風に流れて来た。
(……ああ、あれだ。あの面だけア、たしかに関八州一のハクナオだ。あれを見て、あれに惚れねえ男は世の中にゃいねえやな。……惚れる? けっ、冗談じゃねえ! おれはただ、あの女郎めろうをヨツにカマってやるためにここにいるんだ。その本願さえ遂げりゃあこんな半死の城に用はねえ、三十六計逃げるにしかず……なんだが、その機会がなかなか来ねえ。ついては、三十六計待つにしかず。……おや、なんだかおいらも大概、気の長えこった。こりゃ、あいつらとおんなじ馬鹿ペテポウがうつったかね……)
「──源太!」
 くるくると風に舞う蝶のような麻也姫をウットリと半睡の眼でながめいっていた悪源太は、彼女が小走りに駆け寄って来たのに仰天してがばと起きあがった。おお何だ、何だ? 独り言は腹のなかだけで、声に出したおぼえはねえぞ?
「何度も呼んでいるのに、聞こえなんだえ?」
 両手を腰にあて、目の前に仁王立ちした麻也姫は、そんな格好でもあどけなく可憐で、いたずらッぽくにらんだ表情も童女めいて愛くるしい。
「──へっ? ああ、いや、な、なんの御用でごぜえますか、奥方さま」
「おまえ、ひとりで何をしているの? 他の香具師たちはどこにいるのです?」
 源太の問いにはこたえず、麻也姫はあたりを見まわしてちょっと小首をかしげた。この悪源太を筆頭に他六名、「五本の指」といって生死を共にする誓いをたてているという香具師連中はいつも七人一体で行動をとっていたから、ここにつくねんとしている源太に不思議の感を抱いたらしい。
「へい。弁慶は佐間口の警固、陣虚兵衛は大手門の櫓で物見を、残りの奴らは二ノ丸で旗差物作りの手伝いをしておりやす」
「そう。それで、おまえはじぶんだけ、居眠りしながら女見物をきめこんでいるのね」
「へい、左様で。……あ! め、めっそうもない! はじめはおれも一緒に手伝ってましたがね、どうにもおいら、細けえ仕事は苦手でして。──ヘタに手を出されるよりゃ、いねえ方がよっぽど作業がはかどるってんで追ン出されたんでさ。だけど、荒仕事なら自信がありますぜ。奥方さまのご命令ひとつありゃ、大岩でも丸太でもこのおれがチョチョイと……」
 調子よくまくしたてはじめる悪源太を、麻也姫は笑った眼でおさえ、
「よいわ。治部の兵はきょう明日にも攻めて来るであろう。いくさとなれば、頼りとするのはやはり男じゃ。その方らにも存分に働いてもらわねばならぬ。それまでは、無理をせずにゆっくりしていや。女の力でできることは、女でやる」
 と、いった。
 侍や足軽などの、数少ない忍城の男手はすべて外廓の防備についている。残った非戦闘員で防戦用の城内工事をせよとはもとは麻也姫の下知であったが、最初のうちは石田軍の包囲網に脅えきっていた女たちも率先して働く姫の姿に心動かされて、いまはみな、われもわれもと参加しているのであった。


 麻也姫は悪源太の隣に気さくに腰をおろした。この暑さの中、ひっきりなしに動きまわっていながら、汗ひと筋かいていない。髪がかかるほどの距離のちかさに源太はどきっとした。草いきれにまじって麻也姫さまの芳香が鼻孔をくすぐり、彼はガラにもなくテレた。
「ああしていくつもの濠でへだてておけば、敵もそう易々とは進めまい。多少なりとも、足止めにはなる。──しかし、こう丸見えでは効果も薄いの。ひと通り水をわたし終ったら、木の葉を撒いてかくしておくべきじゃな。おゝ、外廓の沼や水田にもこの手は使えまいか?」
「さあ、それは……」
「外の畦道にな、馬の妨害に逆茂木さかもぎを植えるのじゃ。それもわざと一所にかためたり、点々とはなしたり、不規則にして植えたら、敵の眼に気味悪く映りはすまいか? 戦意を削ぐのにも役立つと思うが──喃、源太、おまえはどう考える?」
「さあ、それは……」
「……わたしの話を聞いているのかや? まじめに答えや、源太」
 ただ麻也姫の横顔に見惚れて心もそらに飛んでいる悪源太に、そうとは気づかぬ姫は、彼の気の抜けた生返事にいらだってきっとした。
 悪源太はあわててガクガクとうなずいて、
「あっ、聞いております、聞いておりますとも! ……ところで、なんの話でしたっけ?」
「ちっとも聞いておらぬではないか」
 麻也姫はあきれて破顔した。
「へへっ」
 源太も恐悦して頭をかいた。笑った顔は存外、愛嬌がある。かたや嬋妍、天女のごとき麻也姫さま、かたや無頼の見本ともいうべき悪源太、年も五つ以上は源太の方が上だろうに、まるで姉に叱られた弟そのものである。
 と、その面上にちらと不安の翳がゆれて、彼は麻也姫の顔色を見い見いいった。
「奥方さま。奥方さまは、その──本気で上方勢といくさをなさるおつもりでいなさるんで?」
 それこそは、悪源太をはじめ七人の香具師たちの心をおおいに驚かせ、戦慄させ、ついには感動でどよめかせていることがらであった。……この奥方は、ほんとうに、二万六千の軍勢と真っ向から勝負するつもりなのか?
 麻也姫は源太の顔をまっすぐに見た。燦たる光芒をはなつ瞳に凝視されて、源太は思わず眼をそらした。
「むろん。本気でのうて何であろうぞ。小田原へお立ちあそばすときに、左馬助さまはわたしに仰せられた。北条の名にかけて、一日でもながくこの城を支えよ、北条家守護のために、一兵でも多く寄手を殺せ、と。成田左馬助の妻として、その御命令を死守するのがわたしの役目じゃ。この城は、麻也が護る」
 そういって、麻也姫は蒼空をあおいだ。一点の曇りもない、澄みきった眼であった。
 小田原城で先日ひらかれた大名参観の風摩組公開競技のときに見た、成田左馬助氏長の気弱げな顔と卑屈な姿を思い出して、なぜか、悪源太の胸がチクリといたんだ。麻也姫のひたすらに夫を信じきっているようすに、理由のわからない漠とした不安を感じたのである。嫉妬ではなく──いや、もしかしたらその心も少しはあるかもしれないが、それよりも──ちかい未来、左馬助を介して彼女の身に何か、途方もなく恐ろしいことがふりかかりそうな胸さわぎがした。──
「それに──岩槻が落ちたいま、殿よりゆだねられた大事な忍の城を護らねば、太田三楽斎の孫としても麻也の面目が立たぬ」
 憂愁の尾をひいた麻也姫の声に、源太ははっとした。
 麻也姫さまの生まれ育った岩槻城はすでに上方勢に降伏している。岩槻の城に敵勢が殺到したという伝令に色を失った姫が一騎駈けで城へ馳せ向かわんとするのを、香具師らが重代の忠臣もかくやとばかりに身を挺して止めたのが数日前のこと。悪源太などは馬上の姫の足にしがみついて、動顛した彼女の鞭に顔をひッぱたかれるに及んで、その傷痕が左の頬にまだうす赤く残っている。
 頑丈が取り柄の男ではあるし、まして、獲物をもとめて矢弾飛びかう戦場を駆けまわり金目のものを拾いあつめるくらいはあたりまえの香具師稼業である。いのちの危険は日常茶飯事で、この程度の傷など怪我のうちにも入らない。──が、七人が今日まで麻也姫に執着するに至っているのが、そもそも悪源太が姫に土足で顔を踏んづけられたのがもとだから、鞭で打たれてさらに恨みをふかくしたかというと──違う。
 彼は腹をたてなかった。それどころか逆に、姫になぐられたことに一種異様な快感をおぼえた。あとになって思い返せば不可思議きわまりないが、ともかくそのときは怒りよりも妙な歓喜しか感じなかったのだから、じぶんでじぶんの心理に首をひねらざるを得ない。
「……あのとき、お止めしねえ方がよかったですか?」
 おそるおそるたずねた悪源太に、麻也姫さまはおだやかに微笑んで、首をふった。
「いいえ。そなたらが止めてくれなんだら、わたしは今頃、岩槻で討死するか、虜となって生き恥をさらしていたかもしれぬ。左馬助さまにどれほど御詫びしても足りなくなるところであった。そなたらの忠節に感謝しています」
「ヨツにカマる予定の女を死なせてはならじ」という下心からの行動を「忠節」と褒められて、悪源太は赤面した。
 麻也姫の表情が、ふと動いた。
「でも──」
 源太の頬に、何か柔かくかぐわしい、絹のような感触のものがふれた。
「まだ、痕がのこっておる。……ひどいことをしました。源太、ゆるしゃ」
 自分の左頬にやさしくあてられているのが麻也姫の白い繊手であることにやっと気づいて、頭が真っ白になった源太は、次の瞬間、大狼狽かつ大混乱におちいった。
「──も、も、もったいねえ! お、お、奥方さまのお手にだったら、百回ぶんなぐられたってお釣りが来まさあ! い、いや、違う違う──おれがいいてえのはですね、つまり、そうじゃあなくって──」
 と、意味不明のことを発狂したように口走ると、坐った姿勢のまま膝で三、四尺もうしろへすざっていった。片手で頬をおさえ、もう片手は壁を塗るような手つきで、口をパクパクさせて、惑乱甚だしい。
 その様子を、つぶらな瞳をまるくして見つめていた麻也姫は、ふいにうつむいた。細い肩がわずかにふるえているのを見て、源太はぎょっとした。泣き出したのかと思ったのである。
 と、押し殺した、くつくつと笑う声がもれて、麻也姫が顔をあげた。──花のこぼれるような明るい笑顔であった。眼にうっすらと涙をためているが、これは笑い涙というやつだろう。
「ほんに……おかしな男じゃな、おまえは。顔を足で踏んだわたしをゆるせぬといったのは、おまえではないかえ」
「あ、あれは……その……」
 キョロキョロとまわりに視線を投げながら庭をつっきって来た足軽が、このときふたりの姿を見とめて、大声で呼ばわった。
「奥方さま! 本丸にて正木丹波どのが、奥方さまをお呼びでござります!」
 麻也姫は立ちあがり、そっちへ手をふった。
「おゝ、いまゆく」
 悪源太をふりかえって、にっと笑んで、
「源太、女見物も構わぬが、あまり目立たぬようにしや。怠けているのがあれたちに見つかったら、どんな灸をすえられるかしれぬぞ」
 というと、まるで胡蝶のように軽やかに飛んでいった。


 遠ざかるそのうしろ姿を、痴呆みたいにぽかんと口をあけたまま見ていた悪源太は、やおら自棄っぱちのように勢いつけて、仰むけに大の字に寝ころんだ。
(……おいおい、なんだよ、どうしちまったんだ? 悪源太助平さまともあろう者が、なんてえザマだい! みっともねえにも程があらあ! まったく、あんな……あんな小娘にいれ込むなんざ……つくづくヤキがまわったもんだぜ、この大馬鹿野郎ペテポウめ……)
 胸中でおのれに毒づきつつ、しかもいまだ片掌をあてたままの頬はいよいよ熱をもって、心魂もとろかすような甘美な酔いをともなって全身を駆けめぐる。
 武蔵野の夏空は遠くわた雲をひからせ、頭上にどこまでも青くひろかったが、それを圧して悪源太の視界いっぱいにひろがっているのは、万朶の花となって咲きゆれるたったいまの麻也姫さまの笑顔のまぼろしであった。


 時は天正十八年五月二十六日。いまの暦でいえば七月上旬。ところは武州。関東七名城の一つにうたわれる、忍の城。
 城兵三千七百四十人のうち女、子供、老人、百姓を除いて、戦闘用の侍と足軽は約五百。対する寄手は、秀吉の懐刀と名高い石田治部少輔三成率いる二万六千。
 女人が指揮し、女人が護って抗戦をつづけたこの城が、城主成田氏長の命によってついに豊臣軍に開城したのは、小田原の本城におくれて十日後──本城落ちてなお支城が持ちこたえたこと、実に十日──であったと「小田原北条記」は伝えている。
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