Rusalka

「Rusalka」(ルサールカ)は若く美しい姿と不気味な醜い姿と二通りの伝承を持つ、男を惑わし水中へ引きずり込む水の精霊の名前。元々は水難事故で死んだ女性の霊魂。
ドヴォルザークのオペラ『ルサルカ』では、ルサルカが王子へ“死の接吻”をする。


 水は苦手だ。
 高いところも元々得意じゃないが、十二年前に刻みこまれた水へのトラウマはそんなのとは比べものにならないほどに強烈で、深刻だ。なにせ、俺はいまだに風呂では湯舟につかれず、シャワーしか浴びられないくらいだから。
 特に夏場が最悪。学生時代は毎年、プール指導から逃げ回ってロクな成績もつけられず、テレビのニュースでやたらと流れる海水浴の光景なんて、楽しいレジャーどころかただの恐怖映像でしかなかった。高校を卒業して一番ほっとして嬉しかったことが何かといったら、学校の連中(主に同級生、ときに教師)による陰湿な蔑視や嫌がらせやいじめから逃げられた解放感よりも、ひたすらくだらないとしか感じられなかった集団生活ってやつが終わった自由よりも、あの家から(お袋から)離れて自分の力だけで金を稼いで自活ができる喜びよりも、ひょっとしたら……これでもう、水中に身を沈めることを理不尽に強制される恐怖を二度と味わわなくていいのだ、という心底からの安堵だったかもしれない。
 水は苦手だ。大人になった今でも、どうしようもなく苦手だ。 
 ──水は、あの日を思い出させる。あの日、喪った、弟を思い出させる。


 プールサイドに置かれた椅子に腰をおろすと、すぐそばのサイドテーブルの卓上へ両脚を投げだした。どうせ誰も見てないんだし、行儀がどうとかなんて知ったことか。……さて、そろそろ指定した配達時間だな。もうすぐ、ここに、あのキス女が来るはずだ。
 散々、殺されまくった挙句にやっとつきとめたキス女の正体──ケータリング・フード宅配店『ナイトデリバリーサービス』の配達員、佐藤宰子。
 二時間ほど前に件の店へ電話した際、俺はいかにもひとあたりのいい明るい声音で、注文の最後にこうつけ加えておいた。「そういえば、そちらに佐藤宰子さんっていう女性のスタッフ、いますよね? いえね、この間、その方の接客態度がすごく感じが良くて感心しましたよ。できれば、また、佐藤さんに配達してもらえたら嬉しいんですけど──」
 スマホの受話口から聞こえてきた店長と思しき単純そうな男の声は、姿が見えなくても容易に想像できる満面の笑みで「佐藤ですね、かしこまりました! ありがとうございます!」と俺の指名を安請け合いした。──ったく、ちょろいなぁ、店長さん。よく考えてみろよ、あんたのところの佐藤宰子に、客から褒められるような愛想があるわけないだろうが。
 大体、名前からしてやべぇよな。行く先々に現れてキスしまくって俺を殺しまくる「サイコ」女の名前が「宰子」って……何のギャグだよ。……いや、まぁ、“殺してた”んじゃなくて“助けてた”んだってのはわかったけどさ。それならそれで、いきなりブチューじゃなくてちゃんと説明しろっつーの! いくら七日前に生き返るったって、死ぬ時はスゲー苦しくてマジできついんだから! どんだけコミュ障なんだ、あいつ……。
 去年のクリスマスイヴから今日、一月十八日までに、宰子に“トドメ”をさされた回数をなんとなしに思い返しながら一人でむかむかしていた俺は、ふと、背後からひとの気配が近づいてくるのに気がついた。
 歳のわりに歩幅の小さい、小刻みな軽い足音。──この独特な歩き方をするのはあいつに決まってる。それに、このスポーツジムのプールは今、貸し切りにしてあるから、あいつ以外に客は入ってこないはず。
 よォ、キス女。ご機嫌はいかがかな?
「ナ、『ナイトデリバリーサービス』、です」
 ……自分が働いてる店の名前くらい、はっきり言えねえのかよ。声質は若々しいのに、その若さを感じさせないくぐもった声量でどもりながら名のられると、こっちまでなんだか気分が滅入ってきそうだ。あのな、接客業は笑顔と愛嬌が基本だぞ。
 俺はサイドテーブルからゆっくりと両脚をおろして立ち上がり、ふり返って、接客業における理想的な「営業スマイル」を佐藤宰子に見せてやった。
「ごくろうさま」
 注文した料理が入っているだろう保温バッグを両手で大事そうに抱えて、ちょこまかとプールサイドを歩いてきた宰子は、俺の顔を見た途端に硬直して立ち止まった。予想もしていなかった相手とはちあわせたようで、鳩が豆鉄砲くらったみたいに呆然としている。……何? まさかおまえ、本当に自分の態度に好感をもった客が待ってると思ってた? 冗談でしょ。
 眼を見ひらいて棒立ち状態の宰子へ近寄って、その手から保温バッグをとり上げる。とり上げられても身動きひとつせず固まったままの彼女を、至近距離で上から下まで観察してみた。
 長袖、長ズボンの、大きめの真っ黒いウインドブレーカーの制服でがっちりガードした小柄な身体(これじゃスタイルなんてわかりゃしない。知りたくもないけど)。同じく真っ黒な、やや癖っ毛気味のおかっぱ頭(この年頃の女にしてはガキくさい髪型)。目をひくのは肌の白さだけの、化粧っ気もない顔のつくりは十人並み──と思ったが、よく見るとそうでもない。感情のない冷たい仏頂面のせいで華がなく感じただけで、こいつ、笑ってみせれば結構イケてるんじゃないか?(自然な笑顔だとどんな印象になるのか、一度、見てみたい気もする)
 ……ま、どうでもいいや。用があるのは、この女の“唇”だけだ。
 ひき返すと、さっきまで脚を置いていたテーブルに無造作にバッグを放って、中からパーティープレートをとり出す。思っていたよりもかなりでかい。注文客が俺だとばれないようにカモフラージュで二、三人前のオードブルを頼んだが、プレートに彩りよく並べて詰められた料理が予想外に旨そうで食欲をそそった。そういや、歌舞伎町の一等地に店を張る高級ホストクラブ『ナルキッソス』の出入り業者に選ばれてんだよな、ここ。見た目も味もうちの保証付き、ってか。──これ、ひと口も食べないで全部廃棄にするの、もったいなくね?
「あれー? 思ったより多いなあ。一緒に、どう?」
 だめ元でホスト仕様の甘い声を宰子へかけてみる。数えきれないほどの女を秒で落としてきた、自慢の流し目もセットで。
 ここにきてようやく解凍された宰子の顔つきが、いつもの険のあるそれに変わった。
「消費税入れて三千九百九十八円になります。領収書はご入用でしょうか?」
 ……だよな。おまえならそう返してくると思った。ここでコロッと落ちてくれりゃ女に手荒なまねしなくて済むかと期待したんだけど、残念。……つか、なんで不機嫌な時だけそんな早口でスラスラしゃべれるようになるんだよ、おまえ。
 俺のアピールを完全に無視して、立て板に水のごとくビジネスライクに代金を請求してきた宰子にむかついた。こっちも負けじと、露骨にいらだちをこめた一段ひくい声を出す。
「領収書はいらない。代わりにキスしてよ」
「…………」
 ……こっ、このアマ! 汚物を見るような眼を俺に向けやがった……!
 異常に耳障りなギリギリという摩擦音が聞こえて初めて、自分が歯ぎしりしていたことに気づいた。──クッソ! こんな地味で陰気で不気味な、ひとっつも冴えねえ女に、この俺が! 『ナルキッソス』のエイトが! ここまでコケにされるとは! ──
「何だ、その反抗的な眼は!? 俺はお客様だぞ!」
 われながらクズの典型せりふだな、と思いつつ、財布を手にとった。えぇと、三千九百いくら、だっけか。札入れの中の福沢諭吉に指をかけて……一瞬、迷った後、引き抜いたのは樋口一葉。……わかってる。ここで怒りにまかせて一万円札を叩きつけてやったら、さぞ爽快だろう。クズの典型せりふだって説得力を増すだろう。……だけど悲しいことに、長年の倹約生活で身に染みついたケチくささ(アルミホイルの節約術すら知ってる)がそれを拒む。文字通り「身体を張って」稼いだ金だ、一円たりとも無駄にできるか、と許してくれない。
 相変わらず氷点下の視線を投げてくる宰子に五千円札をつきつけ、だが金額の低さをカバーしようと、少しかがんで顔を寄せてその凍りつくような両眼を同じ高さでのぞきこむ。
「釣りはいらない」
 氷の瞳が、あきらかに動揺した。
「……あの時は、死ぬのがわかってたから……しただけです」
 目線が俺からはずれて、宙を泳ぐ。心なしか、拒否の言葉に力がない。
 ──ほらな、やっぱり。こいつは嘘をついている。いや、嘘をついたかたちになっているのをまだ理解していないんだ。
 目の前で死にそうな人間を見つけたら誰彼かまわずキスなんて、こいつはしない。──死にかけてたのが『俺』だったから、おまえは何度もキスしてくれたんだろ? 『あなたが』死ぬのがわかってたから、って正確に言い直してみろよ?
 宰子の目線の惑いと声の弱さに満足感を抱いて、俺はやさしく笑いかけた。よし、もうひと押し。
「なら──死んだらキスしてくれる?」
 ところが、宰子は俺が思ったよりもずっと強情で意固地だった。強い意志をとり戻した眼で俺を射抜くと、五千円札をすばやくつかんで、
「……失礼します!」
 凛としたひと声を残してくるりと背を向けた。
 ……ああ、もう、面倒くせえ。舌打ちをすると俺は羽織っていた白いバスローブを脱ぎ捨てて、水着だけの姿になった。ここまできたら最終手段を決行するしかないな。
 水は苦手だ。本当ならこんなこと、できればしたくはない。──なのにこうなったのは、今までの俺の誘いをすべて蹴ってきたおまえの責任だぞ。
「吊り橋理論」──という学説がある。危険な体験を共有した男女は、その昂奮と緊張を恋愛感情と錯覚する、というあれだ。俺はその状態をもっと手軽に試せる代替案として「水中キス理論」を強く推奨したい。「死」を意識する酸素欠乏状態と、非日常の状況で得られる「性的快感」との相乗効果は、何にもまさる恋愛の麻薬となるのを発見した。リホやミヤコといった男扱いに長けた海千山千のタイプをも一発で陥落させる奥の手。
 ただし、試すのは労力に見合う相手──何としても手に入れたいよっぽどの金づるや上玉クラスに限る。その点、佐藤宰子は、貴重さならリホもミヤコも優に超える女だ。上玉かどうかはおいといて、百億ゲットのためには逃がすわけにはいかない、手に入れなくちゃならない『最高に使える女』だ。
 照明を反射してまぶしく光る水面をプールの縁から見下ろして、唾をのみこむ。これまで数回敢行した「水中キス」は、ごく短い時間で目的を達成してきた。その目的のためだけに水に入って、やることやったらすぐに出てたから、どうにか耐えられた。でも、今回は……溺れる演技をしなければ。
 宰子は俺が死にそうになったら、キスして助けてくれる。つまり逆にいえば、死にそうにならない限り決してキスしてくれない。……“神の力”を行使してもらうにはそれなりの“代償”を払え、ってことかよ。
 ひとつ、長い息を吐いて、──覚悟を決めた。
 俺は思いきり勢いをつけて、プールへ飛びこんだ。なるべく派手な水音と水しぶきが上がるように両手をばたつかせてみせる。
「助けてくれ! ……俺は泳げないんだよ!」
 情けなさの極みの悲鳴を出せるのは、自分でもなかなかの演技派だと思った。立ち去りかけた宰子が肩ごしに顔だけふり向けて何かつぶやいたのが見えた。よく聞こえなかったが、多分、ベッタリと呆れと蔑みの張りついたその顔は「足がつくのに何してるんだか」とでも言ったんだろう。
 そう、足はつく。このプールの水深は、足をつけて立てば俺の身長なら確実に首から上が出る。絶対に溺れない。溺れるわけがない。
 ──だから大丈夫。大丈夫だから、落ち着け、旺太郎。
 迫真の演技は、本気で助けを呼んでいたのについに力尽きて沈んだ、という不穏さをあたえることができた……はず。動きが弱っていくふりをしつつ、吸えるだけ限界まで空気を吸って肺におくってから、水中へ──底近くまで潜った。あとは宰子の良心に賭けて、待つのみ。
 覚悟を決めたつもりだったが──想像していたよりもずっと低い水温に、全身に鳥肌がたつほどの寒気におそわれて身がすくむ。水圧が重く不快な静寂となって耳をふさぐ。眼をあけ続けるのも苦労しながら頭上を見ると、おぼろげに揺らぐ視界の先は妙に遠くて、しかも明るい室内プールではなく──
 ──昏い、冷たい、夜の海。
 ……それが幻覚だとわかっていても、急激にわきおこった恐怖が身体をふるえさせるのをおさえられない。のどが詰まるような強烈な苦しさを感じる。胃が痙攣しかけて息を吐き出しそうになる。あわてて口をふさぎながら、必死に念じた。……大丈夫、あの海じゃない、落ち着け、旺太郎!
(──お兄ちゃん)
 その時。光太の声がした。
(──お兄ちゃん。苦しいよ、冷たいよ。助けて──)
 ──光太、光太。おまえをこんなに辛い目に遭わせて、死なせてごめんな。助けてやれなくて、ごめん。──
(──船に乗ろうって言ったのはお兄ちゃんなのに。どうしてぼくだけ死ななくちゃいけなかったの? ──)
 ──そうだよな、どうして兄ちゃんだけ生き残っちゃったんだろうな? あれから、おまえは一人ぼっちで、この海にいるのに。──もしかして、兄ちゃんが迎えに行くのをおまえはずっと待ってるのか? ──
 俺も死ぬのを待っててくれてるのか? 光太。──
(あなた、死にたいの?)
 酸欠のせいか、現実と妄想がごちゃ混ぜになって朦朧とした中で唐突に、やけにクリアにひびく女の声が耳をうった。と、同時にパニックがおさまって、海の底からプールの底へ意識が戻った。
(私とキスすると、死ぬ。──する? 恐ろしくてできないでしょ?)
 冷淡につき放しながらも、それでいて探るような、試すようなまなざしを思い出した。
 俺をあまく見るなよ。言ったよな、成り上がるためなら何だってしてやるって。
 水の向こうにぼんやりと、でも確かに、プールの縁に立った黒い長ズボンの脚が見えた。──おかえり。心配してくれてありがとな。やっぱり、おまえはそういうヤツだよ、宰子。
 急いで浮上して水面から顔を出す。肺と脳が酸素を求めてはげしく自己主張するが、悠長に構っているヒマはない。咳きこみも頭痛も二の次に、息継ぎもそこそこに、俺は宰子の左の足首をつかんだ。こういうのは勢いまかせ、スピード勝負、やったもん勝ちだ──!
 見上げる俺の眼と、見下ろす彼女の眼が、かち合った。
 でかでかと「不覚」の二文字を書きこまれたようというか、苦虫を山ほど噛みつぶしたようというか、とにかく不愉快の極致の表情を浮かべた宰子を見て、腹の底から笑いがこみあげてきた。
「だまされた」
 うん、だましてやった。
 してやったり、と心中に快哉をさけぶも、つかんだ足首の細さにほんのわずかな罪悪感もわく。
 ……わるく思うなよ、俺だって本音は女の子に乱暴な手は使いたくないんだ。だから、最初から素直に俺のいうこと聞いときゃ良かったのに。……その代わり、タイムリープして挽回できて百億を落とせたら、ちゃんとお礼はするって。まぁ、どうせ女なんて、旨いもん食わせてやって(フレンチ選んでおけば間違いないだろ)キスのひとつでもくれてやりゃ、すぐになびいてくるんだし……あ、だめだ。こいつにキスしたら死ぬんだった。しょうがねえな、いつもより星の一個多い店に連れてってやるから、それで我慢しろよ。……
 そうして俺は、“神の力”というリセットボタンを持つ女をこの手でひきよせて、プールの中へ連れこんでやった。──さあ、あとはやることやって、ゲームのリトライだ。見てろよ尊氏、次こそ、おまえの大事な百億ちゃんを俺が横からかっさらってやる。


 目指すは百億。ゴールは百億。
 今度こそ、人生を、未来を変えてみせる。


「やっぱタイムリープして努力して行動を起こせば、未来はいい方向に変えられるんじゃん。今度はお祖母さんがもう少し長生きできそうで、宰子も嬉しいだろ?」
「……うん」
「だからな、おまえの“力”はもっと有効利用すべきなんだよ。契約の発案は俺だけど、上下関係はないからさ。これからはパートナーとして、お互いの幸せのために協力していこうぜ」
「勝手に決めつけないで。……け、契約なんて、私、結んだつもりは……」
「え、まだそういうこと言う? ふーん。──あれー? 自分がしたくなったからってー、真っ昼間の衆人環視の中でー、熱ぅいキッスを俺にかましてきたのはどこのどなたさんでしたっけー!?」
「ちょちょ、ちょっと! 声が大きい! ……あっ、な、何でもありません、何でもないので、前見て運転してください……」
「おまえだって、お祖母さんに逢いたいって自分の欲のために俺を利用したじゃねえか。これでギブアンドテイク成立だろ? それに、おまえなんかじゃめったにありつけないような一流のフレンチも食わせてやっただろうが」
「あなたに誘われたから礼儀として行っただけでほとんど食べてないし食べさせてなんて頼んでないし、そもそも私はフランス料理のマナーをよく知らなくて緊張するからああいう高級なお店は苦手。あと和食の方が好き」
「……ハァ!? 贅沢言ってんじゃねーよ、あの店でいくらかかったと思ってんだ! ……つか、だからなんで文句つける時だけすっげぇ流暢にベラベラしゃべるんだよ、おまえ。そんだけはっきり言いたいことが言えるなら、普段からもっとガンガン来いよな!」
「よ、余計なお世話……!」
「あ、運転手さん。そこの交差点、右に曲がって。──そうそう。で、二つめの信号を過ぎたら左折ね。あとはしばらくまっすぐ──何だよ?」
「あの……このあたり、道が複雑なのに、あ、あなた、私の家をよく憶えてるなぁ、って……」
「ナンバーワンの記憶力なめんなよ。一度でも行った女の家は俺は忘れない。目隠ししたってたどり着けるぜ!」
「自慢することじゃないと思う」
「人生には謙虚も遠慮も不要だ。特技があるなら最大限に活用して役立ててこそ、成り上がれ……じゃない、幸せになれるんだよ。な? 宰子」
「…………」
「その先を左で。あと三百メートルくらい行ったところで停めてください。……はい、どうもー。いくら?」
「……! お、お金はいいから! タクシー代、私が払うから!」
「いや、いいって、こんなはした金。“神の力”と契約させてもらうんだし、手付金みたいなもんだよ」
「それなら、なおさらあなたには出させない! 自分で払う!」
「……あっ、バカ、財布しまえって! こういう時は空気読んで、素直に男のメンツを立てろよ! 財布しまえ! ……ああ、うん、いいのいいの、そいつは気にしなくていいから、支払いはこれで。釣りはいらない。領収書もいらない。……ほら、さっさと降りるぞ!」
「痛っ、引っぱらないでよ。……すみません、ありがとうございました」
「──はぁ。なんか、ずっとしゃべってたからのど渇いた。宰子、お茶でも飲ませてよ」
「えっ……うちに来るの?」
「何その嫌そうな顔。──ていうか、宰子ちゃん。言い忘れてること、ない?」
「…………送ってくれてどうもありがと!」(ほんと、強引でわがままでデリカシーのない男!)
「…………いえいえ、どーいたしまして!」(ほんと、無愛想で意地っ張りでかわいげのねえ女!)
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